LightBulb Producer の岡田直樹です。
「2019→2020」の冒頭部分で日本におけるアパレルブランドの傾向に触れました。
その中でもハイブランドの傾向が今回のテーマになります。
近年では、UNIQLOをはじめとするファストファッションブランドの技術力の向上により殆どのハイブランドは再ブランディングが求められました。その結果としてハイブランドがロゴを前面に押し出し始めるようになりました。これはファストファッションとの差別化を図る上でかなり有効な手段です。「着る」という目線からはあまり効果は得られませんが「見られる」という目線においては大いに効力を発揮します。
ブランドロゴを身に纏う事によって「他人に経済力やファッションセンスを主張出来る」といった具合です。以前のブログでも書いた通り「金銭さえ払いば誰が誰にでもなれる」といった現象です。
このロゴの押し出しが幸せの形骸化を生んでいると私は思っています。
プレゼントとしてハイブランドの品物をもらいSNSに載せる事で幸せを感じる。
そこにブランドの背景やコンセプトやクリエイティビティは介在する余地がありません。
ロゴにより保証された高い金銭の品物を貰い、金銭に裏付いた幸せを享受する。
もちろんそこに愛は存在しますが、SNSの繁栄がもたらした一つの幸せの形です。
この風潮は全国的に広がり、それでなければ幸せを感じる事が出来ないという現象さえ起こって来てしまっています。
この行為を悪と言いたい訳ではなく「形骸化しているという構造に気付いていない事」を危惧しているのです。
Appleが新しいiPhoneを出した時に機能面に目を向けずに買う。
結局はSNSをインストールして同じ事をしているだけ。
どのデバイスでも出来る事なのに新作という言葉とAppleのロゴに目が向いてしまっている。
Appleの理念・環境への配慮・製品デザインへ向けられて然るべき点に目が向けられていないのです。
それは考える事を停止させているのではないでしょうか。
ロゴを中心とする購買により製品の情報を集めようとしない。自分の意見を持たない。
考える事を停止させるからインフルエンサーが「これ良いですよ」と宣伝する広告のスタイルが一時代を作る。そして消費者の製品への愛やリテラシーが無くなっていく。(レビューとは別の概念です)
この傾向は日に日に強くなっています。そして強い危機感を感じています。
政治に対して無関心な日本人が多いのもこの問題と関連づける事が出来ます。
皆と同じ方向に進もうというロゴを重視する傾向、つまり皆で同じ方向に向く傾向が政治にも向くと全員が同じであれば良いんだ「苦しい時も良い時も皆一緒」という考え方が蔓延します。政治が腐敗しようが皆が同じ不利益を被るのだから。
無関心の連鎖です。
しかし私達が比較すべきは他国と日本。
哲学的にいうなれば現状とイデアの距離感です。
それぞれが其々の理想を持つ事を放棄してしまっている現在の日本の状況は、ロゴによる消費スタイルと酷似しているのではないでしょうか。
そんな現状にLightBulbはアパレルブランドとして一矢報いる事は出来ないのであろうか。
「Episode 2b」へ続く
タイトルは投票により選ばさせて頂きました。
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