LightBulb Producerの岡田直樹です。
今回は、LightBulbがなぜ「海外」という言葉を強く意識するのかについて綴りたいと思います。今の日本の若者に対して、一若者である私が同じ年代である若者達に意見を述べたものとして一人でも多くの方にお読み頂き‘何か’を感じて頂ければと思っています。
LightBulbの運営は私一人で行なっている訳では無いので、ここに書かれている事柄はLightBulbのオフィシャルの発言ではなく、LightBulbのProducerである立場としてブランド立ち上げの思いを綴ったものですのでブランドの現在の方針と直接的に繋がるものでは無い事を先に伝えさせて頂いた上で長くなりましたが前書きと致します。
(もちろん間接的には繋がっています)
私自身、学生時代は部活動に励んでいました。何の変哲も無いまま18歳になった私は19歳の頃から読書を始めました。スティーブジョブズの伝記が私の聖書となったのもこの頃です。ジャンルとしてはビジネス書が多かった様に記憶しています。そして20歳の頃に自身の事業を立ち上げる為に英語が必要という理由からオーストラリアへ留学へ行く事となります。自身にはある程度の教養があると謎の自信を持って降り立ったオーストラリアで私を待っていたのは全く違った現実でした。語学学校で出会った海外の友人、特にヨーロッパ圏の友人は思考力という点での成熟を感じさせ、自分を陳腐に感じ恥じました。年齢的にも上の方ばかりだった事もありますがディスカッションを通じて彼ら彼女らから出てくる発言や発想に深さを感じずにはいられないという様な状態でした。
期間の限られた留学生活の中で彼ら彼女らの成熟性は何に由来するのかを見つける事は結論から言うと出来ず、日本へ宿題として持ち帰る事となりました。しかし、留学生活と通じて勉強に徹底的に打ち込んだり現地の人と働いた経験は短期間で私を急速に成長させました。自分の歩んできた20年間が陳腐に感じるほどいろいろな事を吸収して帰国する事が出来たと思います。留学にはある程度の思考力がなければ単なる海外移住生活になってしまうという事にも周りと自分を比較した上で気付きましたがここでは多くを語らず機会を改めたいと思います。
帰国後も読書を続けました。ジャンルは宗教やクラシック音楽や美術や哲学などの歴史ある文化に触れる事を強く意識しました。そして、オーストラリア時代の友人の成熟性がこれらの歴史ある文化に基づく環境の中での成長に由来してという事にハッキリと気付きました。
例えばフランスをはじめとするヨーロッパの多くの国では哲学が科目として高等教育に含まれています。哲学の性質として、ある問題について正解不正解を問わず自分自身の意見が強く求められます。現代アート鑑賞などについても同様の事が言え、1つの絵に対して自分自身の意見を持つ事が現代アート鑑賞の主流となっています。
LightBulbのデザイナーである掛洋二郎がイタリアに拠点を置く意味もここで挙げた様なインスピレーションを受けられるという側面が大きいことでしょう。
これらを踏まえて何が言えるかといえば海外(主にヨーロッパ諸国)では自己の意見を発言や作品として表現する文化が出来ているという事です。それは消費についても同様で自身の物差しが正確にある事を意味します。
これは明らかに日本人にはない文化性であり、私自身が現代における日本の文化(特に若者文化)を陳腐に感じる原因でもあります。
日本の空気を読む文化から生まれてくる製品や世界観はある程度に集約され主体性を失っていきます。製作側がいかにその様な文化を汲んだデザイナーであれど買う側に自己表現の文化が根付いていなければ意味がない事で、買う側は「流行っている物」「直感」という何とも頼り難い言葉を元に良し悪しの判断を行う傾向にある為に製作者側もそれに近いデザインを提供せざるを得ない状況が生まれます。
主体性を失った世界観を「私は特別である」という安直な文脈に乗せて発信するのが今の日本人の若者文化となりつつあります。Instagramを意図的に徘徊していれば明らかです。それは私が警笛を鳴らす「拘りを持たずにハイブランドの洋服を着てポスト」に始まり「スターバックスの新作をポスト」「化粧品や購入品の置き画をポスト」「流行りのスポットに行ってポスト」等…
ヨーロッパの様に陸地続きではなく島国である日本ではインターネット文化が栄えた現代でさえ日本人は日本人とのみ繋がる事を望み、海外文化との距離は更に遠のくばかりです。
だから少なくとも10個の海外アーティストのアカウントをフォローする事を私が提唱している訳でもあります。
そしてそんな時代だからこそ私の提唱する「拘りのある消費」が必要になってくるのだと思います。
ブランドの背景を汲んで、製作側の拘りと自分自身の拘りを重ね合わせる事により自己表現を確立していく事が必要になります。だからこそLightBulbは海外アーティストとのコラボレーションに励み、彼ら彼女らのアイデアを皆様に提供していこうという文化の選択者(キュレーター)になろうとしている訳です。
これらが、私がLightBulbで提唱する「拘りのある消費」という言葉にある背景であり、LightBulb自体を既存のブランドとは全く別のシステムで回していく必要があると思っている理由でもあります。そこで必要となるのがこれまでも説明してきた”ブランド文化”である訳です。何度も言いますが、皆様の協力が不可欠です。
LightBulbを通じて自己表現が出来る日本人が増えていけば本望です。
LightBulb
Producer:Naoki Okada
Vice Producer:Kosuke Yamato
Designer:Yojiro Kake
もちろん「何が幸せか」という物差しは各人によって違くて当然ですが、せめてLightBulbの共通観念として拘りある消費は掲げ続けようと思います。
読ませていただきました。
留学経験から考え、形に、そして僕らの手元に。ブランド側の自己表現ですね。
では、購入者側の自己表現とは何でしょうか。買うことですか?着ること?ポストすること?僕は全て違うと思います。
共感、批判あっての自己表現だと思います。今、岡田さんの言葉を借りるのであれば、若者文化は自己表現に対して批判がほとんどないと思います。だから拘らないし、流行り物にしか手を出さない。
拘りある消費が自己表現に繋がっていくのであれば、協力したいし、このブランドの成長を見届けたいですね。