「人として 2020」

 

 

LightBulb Producerの岡田直樹です。 

 

 

もうすぐ2020年が終わろうとしています。 

 

2020年はコロナウイルスの話題を避けては通れない、我々現代人にとって稀有な1年となりました。 

 

この記事で2020年を総括し、今後のLightBulbの糧にしていこうと思います。 

 

 

 

 

2020年をコロナウイルスと共に生きた私は多くを考えた。 

 

その中で最もは 

 

「なぜ、なんの為に生きるか」 

 

である。 

 

緊急事態宣言を通じて家にいる機会が多くなった事により、忙しかった日常からある種解放された。 

 

生物的本能か分からぬが、家族を愛おしく思った。母への感謝や愛が増した。 

 

 

仕事をする為に生きているのではない。 

 

金銭ばかりを気にして生きていてもつまらない。 

 

 

当たり前のように聞こえるが、忙しい日常から強制的にでも距離をとったからこそ改めて気付く事が出来た。 

 

 

生きたいように生きればいい。他者からの目を気にし過ぎていた。 

 

 

1日に着る事の出来る服を慎重に選ぶようにもなった。 

 

 

きっと忙しい日常に戻れば、周りの目や環境要因(職場ではスーツ等)によってルーティンワークのような服選びに戻るのだろう。 

 

 

せっかく得られた、生きる意味を考える機会をまた失ってしまうだろう。 

 

 

見た目ばかり、他人の目を気にして、ハイブランド買う。着る。 

 

大いに結構である。 

 

しかし、灰になれば誰もが平等。 

 

コロナで再確認出来た価値観だ。 

 

何度も引き合いに出しているように、ステラマッカートニー(ハイブランド)のコンセプトや考え方が好きだから着る。 

 

こういったデザイン信念に惚れ込んでいるからこのブランド着る。 

 

といったように自分の考え方を表現する為にファッションを楽しむのが健全ではないだろうか。 

 

 

「パパ・ママ」の記事にも書いた通り、自分が所属する集団を表現する目的がファションの源流にはある。それは現代風に言えば自分の思想を反映する事だとも言えるだろう。 

 

 

なんの為に生きるのか。 

 

なにを成し遂げる為に生きるのか。 

 

 

難しく聞こえるかもしれない。 

 

しかし、家族を大切にする事。愛する人と幸せに生きる事。

そういった当たり前で、普段気付けない事が何より大切である事をコロナウイルスは気付かせてくれた。 

 

1日に1着しか服を着られないのであれば、よく考えよう。 

 

正装が求められる場においてハイブランドの服を着る事はなんら間違っていない。他者にわかりやすく意図を伝えられるから。 

 

しかしそれが必ずしも 

 

ハイブランド=良い=オシャレ 

 

の方程式を作らない事は理解していた方が良いだろう。 

 

 

社会的メッセージを出す事がアパレルブランドにとって当たり前になった時、LightBulbに価値はないのかもしれない。デザインが良いブランドは世界に無数にある。 

 

それまでは社会的なメッセージを出しつつ、着たいと思えるようなデザインを目指して服作りに取り組むLightBulbでの挑戦は続けていこうと思う。 

 

 

LightBulbの服に袖を通した時に 

 

家族が恋しくなり 

 

世界のプラスティック問題の事を思い出し 

 

鏡を見て「よしっ、かっこいい」 

 

こう思えたら素敵ではないだろうか。 

 

 

そう思ってくれる仲間を2021年も探し続けようと思う。 

 

 

 

LightBulb Producer 

岡田直樹 

 

 

 

PS.この記事は不完全です。書き終わって読み直してもどこか読み足りない気持ちが芽生えました。ただ何か胸を打つものは感じていただけると思います。それは私自身も生きる意味など未だ見つけられていないというモヤモヤ感を常に持っているからです。だから「こう生きれば良い」と断言出来ないのです。人は誰しもそう考えながら死んでいくのでしょう。しかし「こういうファッションは良い」とある程度断言できます。それは「これを信じている」という芯をファッションにおいては持てているからです。

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