LightBulb Producerの岡田 直樹です。
本記事は完全なる私の私見であり、LightBulbに関わるいかなる人物の意見では無い事を明確に示した上で本記事のはじめとする。
また、世界的には学術名であるCOVID-19という呼ばれ方がメジャーであるが、ここでは端的にコロナとする。
コロナと服。コロナとLightBulb.
コロナが感染者数を増やし、自粛傾向が社会に根付くにつれて服の存在価値のようなものが薄れ、アパレルブランド各社は本質的な服の価値やブランド定義を見直す事が必要となった。もしくは今まで特にブランド概念を定義してこなかったブランドは安売りと人員削減、そして撤退へ向かわざるを得なくなった。
しかしながら、そのような文脈の物事と本記事を結びつけたかった訳ではなく気になる点は他にある。
それは、
「すべての医療従事者に感謝」
といった言葉への不思議とした気持ちだ。
もちろんパンデミック化にあり、その中でも危険に常に晒されながら日々医療の現場に就く医療従事者への感謝はもちろん持っている。時には自主隔離下に身を置き、家族と離れ、職場と隔離先を行き来されていた方々の事を思うと感謝以上の感情を示すことは難しい。
馬鹿な人間同士が外でマスクも付けず大声で話し合い、感染し、病院へ向かった際に対応をしてくれるのは医療従事者だ。
馬鹿な人間が「対策をしても無駄だ」と言い、無防備に感染したとしても、救ってくれるのは医療従事者だ。
つまり「感染症対策を行わない無責任や馬鹿」のケツ拭いをしてくれているのは医療従事者という事だ。(対策を行った上での感染は仕方がない)
では、コロナ以前の我々はどうであっただろうか。
馬鹿がポイ捨てをする。
馬鹿が多量に飲酒し公共な場所で嘔吐する。
馬鹿が公共区間で喫煙を行う。
そういった誰かが汚した社会を綺麗にしてきた人々への感謝を「すべての医療従事者に感謝」と同じほどに唱えてきた人は居ただろうか。
そもそもの大前提としては、そういった馬鹿が悪い。しかし、民主主義国家に生きる我々は自主規制や自主制限によって我々自身を注意し監視する必要がある。
これが共産主義や専制国家であれば政治主導者の一声で死刑まで宣告することが出来てしまう訳だ。
資本主義に生きる我々は、それぞれにそれぞれの正義を持ち生きていく必要がある。
少なくとも私の正義感の中では先に挙げた公共区間での「ポイ捨て・嘔吐・喫煙」は悪に属するので許しがたい。そして、それらの後始末を行う・行わなければならない人々には常に申し訳ない気持ちを持っている。極端に言えば馬鹿は法によって一刻も早く捌かれて欲しい。
しかしながら、受けられる教育のレベルによって正義感形成が行われてしまう事は社会のエラーとして存在する。
LightBulbの文脈で語るならば、LightBulbの正義は環境問題への対応と発言。
そして早すぎる消費へのアンチテーゼを唱えることだ。
私がブランドを立ち上げる前、消費者だった頃にはそういった企業の正義に心を動かされ生産者(ブランドProducer)になった。
もしかすると、この記事を読んでいる方々が生産者の側になる事もあるかもしれない。企業において製品計画を行う事があるかもしれない。家族や知り合いに自らの正義を説明する機会があるかもしれない。
そういった時には自分は何を好んで何を好まないか、自分の正義をハッキリ言える人になって頂きたい。その為には沢山学ぶ必要がある。
「コロナはどのように感染する。だから私はここに気をつけ、こういった行動は許さない」といったように。
そういった視野を広げる場所にWWSDはなりたいと常々思っている。
アパレルブランドの一つとしても伝えられる事はあると信じてブランド活動を行ってきた。意識を変えて、行動を変えると、選ぶべきブランドも自然と狭まってくると思う。それでもって自らの正義を洋服(ブランド)と共に表現してほしいと心より思う。
環境面に配慮したブランドから服を買う事は自らも環境面に配慮していることを表現する為には最善の方法だ。
あなた自身の正義とはなんでしょうか。
LightBulb Producer
岡田 直樹
コロナを機に正義について考え、それが洋服と結びついて今回の執筆に至りました。それぞれが自らの中に正義を持っていると思いますが他者と比較するいい機会かもしれませんね。